大人ってなんだろな

 

昨日こうやって自分の考えを外に出してる時に、『こんな大人になりたいな』で終わる文章を書こうとしてて

 

「俺もう30だよ。大人じゃんもう。」なんて思って、その文章消したんだけども、さっき読み物を読んでて「こんな大人になりたいな」って思っちゃったもんだから

やっぱ大人の自覚がないんだと自覚した。

 

大人ってなんだろうか。何ができれば自分が大人だと感じるんだろうか。

 

そんなことを考えたいと思って、今書いてる。

 

大人になるのは、成人したら?就職して自分で稼いだお金で生活することか?

そのどちらも正しいとは思うが、それだけでは真の大人にはなってない気がするんだよなぁ。

 

ややしっくりくるのは、「大人とは『責任を自覚して、その責任を取れるようになること』かな。だとすれば、成人することも、就職して自力で食うことも、あてはまるっちゃああてはまる。

 

だがしかし。まだしっくりこない。

と思ってる矢先、ピンときた。

 

「大人は『どんどん大人になる。』」んじゃないだろうか。

 

「大人」は終わりがなくって、Ver2.0 Ver3.0・・・・と続いていく気がする。ある時に「大人」とみなされて終わりなのではなくて、

 

常に「更新していく」こと、「更新しようとする姿勢を保つこと」が大人なんだろうな。

 

となると、今大人になってないと感じるのは、もっと大きな責任を取りたいと思ってるってことかもしれない。

 

 

あるいは、負いたいと思う責任に、出会いたいのかもしれない。今急に『社会人サッカーチームのマネージャーになって』って頼まれても、やりたいとは思わないからなぁ。

 

そう考えるとしっくりくる。「大人になる」は「さらなる大きな責任を自覚する。そして大きくなった責任も取れる。」ってことか。

 

 

 

 

この考え方を使うと、松本人志さんが「ドキュメンタル」を始めたことを知った時に、

なんか感動したことも自分の中で説明がつく。

 

松本人志程の人であれば、現状に満足していても、何ら不思議ではない。

なのにもかかわらず、「ドキュメンタル」という実験的な、(俺にとっては)新鮮なコンテンツを始めた。

これが世間的に、だれが見ても新鮮なコンテンツなのかは実は問題ではなく、(再三いうが俺にとって)新鮮であることが、重要だった。

 

「松ちゃん。大人だなぁ。かっこいいなぁ。」と思ったのは、新たな責任を負うことから逃げず、さらに大人になっている姿を見たからなんじゃないだろうか。

 

そして、その責任を松ちゃんが負おうとしたのは、献身的な気持ちや、ボランティア精神ではなく、ただただ「お笑い」が好きだからなんだろうな。

 

責任を負い、その責任をとれる人間になり、さらなる責任を負い続けたいと感じる仕事、

 

それが大人になるってことで、もしかしたらその人の天職なのかもしれんね。