考える遊び

「考える遊び」を邪魔されるのは、いやだなって思った。

 

あのコンビニ、なんで流行ってると思う?

 

って話になった時に、早急に結論を決めようとするのは、もったいないとおもってて、

その謎をしゃぶりつくしたいと思うんだよ。

 

 

ーなんでだと思う?

 

ーおでんがほかの店よりうまい。気がする。

 

ーわかる。なんか清潔感があるから、コーラの炭酸がきいてるがする。

 

ーそんなことが。

 

ーなんか広く感じるんだよね。

 

ーそういえばほかの店舗にはない、鶏飯を置いてあるのがいい。

 

ークッキーの品ぞろえが。

 

なんて具合に、考えるプロセスを楽しみたい。

 

そこに、

 

「答えは一つしかないよ。」なんて入ってきて、もっともらしいこと言われたら、げんなりしちゃうなぁ。

 

考えるプロセスを十分に楽しみたいんだよ。完成したプラモはほしくないんよ。

 

 

昨日出した答えを、次の日に疑いたいんだよ。

 

それはとっても大人っぽい。

 

 

 

 

 

大人ってなんだろな

 

昨日こうやって自分の考えを外に出してる時に、『こんな大人になりたいな』で終わる文章を書こうとしてて

 

「俺もう30だよ。大人じゃんもう。」なんて思って、その文章消したんだけども、さっき読み物を読んでて「こんな大人になりたいな」って思っちゃったもんだから

やっぱ大人の自覚がないんだと自覚した。

 

大人ってなんだろうか。何ができれば自分が大人だと感じるんだろうか。

 

そんなことを考えたいと思って、今書いてる。

 

大人になるのは、成人したら?就職して自分で稼いだお金で生活することか?

そのどちらも正しいとは思うが、それだけでは真の大人にはなってない気がするんだよなぁ。

 

ややしっくりくるのは、「大人とは『責任を自覚して、その責任を取れるようになること』かな。だとすれば、成人することも、就職して自力で食うことも、あてはまるっちゃああてはまる。

 

だがしかし。まだしっくりこない。

と思ってる矢先、ピンときた。

 

「大人は『どんどん大人になる。』」んじゃないだろうか。

 

「大人」は終わりがなくって、Ver2.0 Ver3.0・・・・と続いていく気がする。ある時に「大人」とみなされて終わりなのではなくて、

 

常に「更新していく」こと、「更新しようとする姿勢を保つこと」が大人なんだろうな。

 

となると、今大人になってないと感じるのは、もっと大きな責任を取りたいと思ってるってことかもしれない。

 

 

あるいは、負いたいと思う責任に、出会いたいのかもしれない。今急に『社会人サッカーチームのマネージャーになって』って頼まれても、やりたいとは思わないからなぁ。

 

そう考えるとしっくりくる。「大人になる」は「さらなる大きな責任を自覚する。そして大きくなった責任も取れる。」ってことか。

 

 

 

 

この考え方を使うと、松本人志さんが「ドキュメンタル」を始めたことを知った時に、

なんか感動したことも自分の中で説明がつく。

 

松本人志程の人であれば、現状に満足していても、何ら不思議ではない。

なのにもかかわらず、「ドキュメンタル」という実験的な、(俺にとっては)新鮮なコンテンツを始めた。

これが世間的に、だれが見ても新鮮なコンテンツなのかは実は問題ではなく、(再三いうが俺にとって)新鮮であることが、重要だった。

 

「松ちゃん。大人だなぁ。かっこいいなぁ。」と思ったのは、新たな責任を負うことから逃げず、さらに大人になっている姿を見たからなんじゃないだろうか。

 

そして、その責任を松ちゃんが負おうとしたのは、献身的な気持ちや、ボランティア精神ではなく、ただただ「お笑い」が好きだからなんだろうな。

 

責任を負い、その責任をとれる人間になり、さらなる責任を負い続けたいと感じる仕事、

 

それが大人になるってことで、もしかしたらその人の天職なのかもしれんね。

 

 

 

 

 

 

子供に話すように書く

考えていることを、文字に起こすっていうのはとても苦手なんだよ。

 

何も考えていなかった事に気づくからだなぁ。

 

ものを書くのがうんと上手な人は、どこまで考えて書き始めるんだろうね。書きながら考える人もいるのかね。

 

そういえば仕事の場面でも、動きながら考える人と、ある程度考えてから動く人に大きく分かれるね。

 

仕事の場合は前者のほうがいいと思うんだよ。

 

動いてる途中でさ、動く前には想像しなかったことが起こるんだよね。自分じゃコントロールできないことってたくさん起こるんだよ。

 

それが嫌だっていう人も結構多い気がするけど、俺はそれが結構好きなんだよ。いいこともわるいことも起こるのが仕事で、それは身を任せた方がいいね。

コントロールできないことをいやだと思うんじゃなくってさ、コントロールできないことが普通だって思うと、なんかすっきりするよ。

 

でも楽しかったとか、またやってもいいなって思うのは、その時じゃなくて、終わったあとなんだけどね。

 

最中はもう、不安だったり、なんなんだ!なんて叫びたくなったりするんだよ。でも、それでも終わったら、またなにか起こってもいいな。なんて思うんだよね。

 

そんなことばっか繰り返すうちに、あちこちに傷が付くこともあるんだけど、年代物のかっこいい中古車みたいに生きたいもんです。

 

今書いてることは、動きながら書いたことだし、上手くいかずに傷がついたような気がする内容だけど、なんとなく満足はしてるんだよ。

もっとたくさん書いて、いつか誰かに何かを感じてもらいたいと思ってるよ心の底から。

 

 

 

 

 

 

 

Oh 批判的な俺よ

○○家って人がいる。ここで○○に入るのは『小説』だとか『芸術』だとか『音楽』をイメージしたら良い。

 

音楽家を例に挙げるとして、彼らが音楽家でありつづけるためには何が必要か。

音楽家 と呼ばれる人とは、

① 音楽でもって自己表現ができて、

② その音楽が聞く人に感動や気づきを与えて、

③ ②を広く多くの人に向けて展開できている ということなんじゃないか。

 

③ってのは①に戻る為に必要な元手を得る事で、お金とも呼べるし信頼とも呼べる。

○○家として生き続けていくためには、③が不可欠であって、それを回避しちゃうのは所謂アマチュアってヤツだ。

 

「文化を育てるのは拝金主義ではない。」という台詞がある。それはつまり③におぼれるなよ ちゃんと元手として①に戻って、②を気に掛けろよってことだと思う。ただ、文化は金が育てているっていうのは間違いではないわけだ。

 

こんな事を言う人がいるんじゃないか。「ダウンロード楽曲ではなく、CDを買ってくれなきゃ音楽家として成り立たない。」とか。最近じゃよく言われそうなことだけど、これには反論したい。そもそも誰も言ってないかもしれないけど。○ガシカオ氏が言ってそうな気がするけど。勘だけど。

 

この「CDを買ってくれなきゃ音楽家として成り立たない」ってのは何も消費者の考え方がおかしいのではなく、音楽家が③に対処できていないだけなんでしょう。

ダウンロード楽曲では利益が出ない収益構造が、時代についてこれていない結果であって、消費のスタイル・トレンドを否定するのはお門違いってヤツだ。

技術革新が消費トレンドを変えてきた。「CDを買ってくれなきゃ音楽家として成立しないのであれば」もう現代では「音楽家」ではないのじゃなかろうか。

ビデオテープからDVDに記憶媒体が代わった事で、様々なビジネスが生まれた。結果職を失った人もいるでしょう。そういうことである。

いかに安く良い音楽を作るか。リスナーの企業人が普段死に物狂いでやっている事を、やればいいだけなのです。

くだらないの向こう側

くだらないことが好きです。くだらないことってのは、みんなやりたがらない事さ。


やりたがる人がいないってことは、いいことである。


くだらないと想定されることを、やらない人が多い中で、気づけることがあれば、それは誰も知らない事に気付けるってことさ。


ただ、俺自身くだらないことを行動に移せずにいる。

世界一周旅行に出て、世界遺産の要所要所にキン肉マン消しゴムを隠し、それを全て見つけた者に、等身大キン消しになる権利をあげたい。俺にそんな権限はないが。


そういう事である。



帰りたくない

金曜日の夕方は疲れて帰る気力がなくなり、特に何をするでもなくオフィスでうろうろしている俺である。自然とブログの内容もオチの無い、なんともいえないものになる。

 

① 娘に好かれたい

家族を持って気づいた事のひとつに、子供に気に入られる為には母の機嫌をとれ があります。

ここで言う「母」は子供にとっての母なので、俺にとっては妻である。つまり、妻の夫に対する評価=子供の父親に対する評価 なのでぃす。妻に好かれずに、子供に好かれようなんて、甘ちゃん中の甘ちゃんなワケであります。

思春期の女子なんて、たいてい親父の事が嫌いなんて聞きますが、俺は対策を講じ、パパ大好きガールを育成していきたいと考えている。かっこいいから。娘に好かれる親父超かっこいいから。

娘が思春期のころには、ダンディーとセクシーと少しの茶目っ気を帯びた、スーパーお父さんになって、ハーレー乗ったりしちゃって、犬とフリスビーであそんだりしちゃって、駒沢公園でブギウギして、お茶漬けを旨そうに食いたい。

 

② 熱中

もう何年も熱中した事がない。成人になってからは本当に熱中していない。やりたい事がないのである。興奮する事が見当たらないのである。仕事で、我も忘れて突き進むようなもの、業務、立場を作っていかなくてはいかんと思うのである。

仕事にするべきことは、①やりたいと思う事であり、②適正があり、③社会に役立つ事である。一つ一つ整理してみると、

① やりたいと思う事

→一人でできること。(ある程度自分のペースを作れる事)、個性的であること

② 適正

→恐らく、バランスをとる事は得意だろう。調整とか。長らく中間管理職にいてもそんなにストレス溜まってないから。

 

③ 社会に役立つこと

→役に立たない事はないでしょう。

 

なんて考えるんですが、そもそもエントリーシート的なものを書いたことがほとんどなく、長所と短所もよく分かっていない俺である。こういう「やりたいこと」ってのは迫られないと得られないモンなんでしょうな。いまは大分ぬるま湯に浸かってるもんなぁ。

 

あ~~~~~~~~ ロブスター食べた~い☆★☆★

 

終わり

 

 

俺ってば

一人が好きだった。

 

30歳手前の今、気づいたのだ自分が結構一人が好きなことに。共同作業が好きな子だったから、そういう環境のほうがイキイキできるのかと思ってたんだけど、どうやら間違っていたようだ。

 

今の仕事は一人で完結する仕事である。それなりに経験を積めば、一人で仕事を受注し、一人で完成させることのできる仕事である。

どうりでここ数年ストレス値が低いのか。

 

一人は良い。一人で昼飯に行くのなんて最高である。途中のエレベーターでは小躍りしてしまう。

ちなみ「一人小躍り」は癖になっており、昼飯に行くときでなくとも、誰もいないエレベーターで独りになると、小躍りをしている。あと変顔を作ってみたりしている。調子がいいと『アイーン』とかしている。エレベーターの監視カメラを睨みつける「アイーン」はなぜか知らんが無性に癖になるので、志村ファンでなくとも一度トライしてもらいたい所存である。

 

 

話は変わるが、音を殺すくしゃみをしたところ、その殺されたパワーが体内でどうにかなったのか、所謂「イった」ことがある。これは夢だったのか現実だったのか。昔々のお話....

 

fin